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札幌地方裁判所 昭和53年(わ)758号 判決

被告人 田中敏広

昭二七・七・一三生 会社員

主文

被告人は無罪。

理由

(本件公訴事実)

(1)  主位的訴因

被告人は、建築・設計を業とする株式会社小林設計工務店の取締役・工事部次長で同社が請負つた鏡ビル建築工事の現場監督の業務に従事していたもの、川島直美は、鉄骨組立業を営み、右小林設計工務店より右鏡ビル建築工事の鉄骨組立を下請けしていたものであるところ、昭和五二年七月二九日午前九時二〇分ころ、札幌市東区北三一条東二丁目七八六番地所在の右鏡ビル建築工事現場において、右川島直美と共同して作業員を指揮監督して同工事の鉄骨組立作業を行うにあたり、建物の支柱となるH鋼クロス柱(長さ約九・九メートル、重量約一・五トン)をクレーンで吊りあげて基礎コンクリートの上に垂直に立て、暫時そのままの状態を保持するため、基礎コンクリートに埋め込まれた三本のアンカーボルト(いずれも直径約一・九センチメートル、露出部の長さ約一五センチメートル)で同クロス柱の底盤(プレート板)を締めつけて固定したうえ、作業員を同クロス柱に登らせ、クレーンの玉掛けワイヤーをはずさせようとしたが、この場合右アンカーボルト三本の相互の位置が不規則な三角形で、そのうえ底盤の一方に偏しており、いわゆる正四角形の四点アンカーボルト方式に比して極めて不安定な位置にあつたため、同クロス柱の底盤をアンカーボルトで固定しても、垂直に立てた同クロス柱が傾き始めた時にはアンカーボルトの一本に極めて大きい荷重がかかり、わずか直径一・九センチメートルの右アンカーボルトでは到底その荷重を支えきれずアンカーボルトが折れて同クロス柱が倒壊するおそれが極めて大であつたのであるから、被告人は右川島直美とともに右危険に備えて三点もしくは四点の丸太などによるいわゆる張り(支え棒、通称トラ)を設けるなどして、右玉掛けワイヤーをはずした後においても同クロス柱が倒壊することのないよう倒壊防止の措置を講ずべき業務上の注意義務があつたにもかかわらず、これを怠り、同クロス柱をアンカーボルト三本で支える時間が短いことに気を許し、その間に同クロス柱が倒壊することはないものと軽信し、漫然、同クロス柱を立て、三本のアンカーボルトで固定したものの、張りをとることなく、作業員石森眞夫(当時五三歳)を同クロス柱に登らせて玉掛けワイヤーをはずさせた共同の過失により、同人が玉掛けワイヤーをはずしたところ、同クロス柱が安定を失つて倒壊し、そのため同人は同クロス柱より落下して地上のH鋼に激突し、よつて即時同所において同人を頸髄骨折により死亡するに至らしめたものである。

(2)  予備的訴因

被告人は、建築・設計を業とする株式会社小林設計工務店の取締役・工事部次長で、同社が請負つた鏡ビル建築工事の現場監督の業務に従事するものであるところ、昭和五二年七月二九日午前九時二〇分ころ、札幌市東区北三一条東二丁目七八六番地の右鏡ビル建築現場において、同社の下請けである鉄骨組立業川島直美らが同工事の鉄骨組立工事作業を行うにあたり、建物の支柱となるH鋼クロス柱(長さ約九・九メートル、重さ約一・五トン)をクレーンの玉掛けワイヤーで吊りあげて基礎コンクリートの上に直立させた上、同コンクリートに埋め込まれた三本のアンカーボルト(いずれも直径一・九センチメートル、露出部の長さ約一五センチメートル)で同クロス柱の底盤(プレート板)の穴に通してこれを締めつけ固定させたが、右アンカーボルト三本の固定位置を結んだ線が極端な不等辺三角形を形成し、かつ、右三角形が底盤の一方に偏在する構造となつていて、各アンカーボルトにかかる荷重のバランスが失われていたため、作業員が同クロス柱に登つてクレーンの玉掛けワイヤーを外した場合には右柱が安定を失い、アンカーボルトの一部がその荷重に堪えられずに折損し、同クロス柱が倒壊するおそれが極めて大であつたから、被告人としては、右危険に備えて、右川島ら作業員らに対し、同クロス柱の周囲から丸太等によるいわゆる張り(支え棒、通称トラ)を設けて右柱を支えるなどの倒壊防止措置をとるよう指揮監督する業務上の注意義務があるのに、これを怠り、同クロス柱が倒壊することはないものと軽信し、何ら右倒壊防止措置をとらなかつた過失により、作業員石森眞夫(当時五三歳)が同クロス柱に登つて玉掛けワイヤーを外した際、同クロス柱が安定を失つて前記アンカーボルトが折損して倒壊し、同人をして同クロス柱から落下させて地上のH鋼に激突させ、よつて即時同所において同人を頸髄骨折により死亡するに至らせたものである。

(本件事故の概要)

本件事故の概要は、(証拠略)を総合すれば、次のとおりであり、これを覆すに足りる証拠はない。

一  被告人は、昭和五二年七月二九日当時、建物建築の設計・施工を業とする株式会社小林設計工務店(以下、単に「小林設計工務店」という。)の取締役兼工事部次長の地位にあつたが、小林設計工務店は、同年五月ころ、鏡義弘から、札幌市東区北三一条東二丁目七八六番地に施工する鏡ビル(鉄骨造コンクリート葺三階建)の建築工事(以下、「本件建築工事」という。)の注文を受け、同年六月中旬ころ、同人との間で、その請負契約を締結した。

二  小林設計工務店では、同年五月二〇日ころ、右鏡ビルの主体構造の設計を一級建築士である堀本征治に依頼し、同人は、H鋼クロス柱(高さ九・九メートル、重量約一・五トン、H形鋼二本を直角に組合わせて製作されたもの)を六本使用する内容の設計をした。その設計図においては、H鋼クロス柱の底板を基礎部分に固定するためのアンカーボルトの数は四本とされ、その四本のアンカーボルトを結ぶ直線が概ね正四角形になるように配置されていた。

三  小林設計工務店では、同年六月二四日、鉄骨の製作および組立工事を業とする有限会社宇田鉄工(以下、単に「宇田鉄工」という。)に右鏡ビルの鉄骨の製作および組立工事を請負わせ、宇田鉄工は、同年七月中旬ころ、このうちの鉄骨組立工事を、小林設計工務店の了解を得ることなく、川島直美に請負わせた。

四  小林設計工務店は、右鏡ビルの四隅の柱として使用されるH鋼クロス柱の構造を変更し、これにともない、宇田鉄工では、これらのH鋼クロス柱のアンカーボルトの数を三本に減らし、その位置も、H鋼クロス柱の底板の一方に偏在し、かつ、そのうちの二本の間隔が狭いという配置(不等辺三角形の配置)に変更した。宇田鉄工では、このことについて、同年七月八日ころ、宇田鉄工の工場で行われた右鏡ビルの鉄骨製作に関する現寸検査(設計図や打合せどおりに製作するために、請負契約の両当事者が実物大の平面図に基づき、それぞれの寸法等を確認する手続)の際に、小林設計工務店の了承を得た。被告人もこの現寸検査に立ち会い、右のとおりアンカーボルトの数および位置が変更されたことを知つた。

五  被告人は、同月一〇日ころから、小林設計工務店の準従業員である石田組の作業員四名を使用して、本件建築工事の基礎工事を行い、同月二一日ころ、宇田鉄工から届けられた型板(アンカーボルトを埋め込む位置を示すために鉄板に穴をあけて作られたもの)を用いて、アンカーボルト(直径一・九センチメートル、長さ七五センチメートル)を、その先端が約一五センチメートル露出するように、基礎部分に埋め込み、同日、宇田鉄工から指示された前記川島直美がアンカーボルト直しを行つた。そして、被告人は、同月二二日ころ、小林設計工務店の下請業者で、いわゆるまんじゆう(鉄柱を建てる基礎部分の高さを調整するため、基礎部分の上にモルタルで円すい台状に盛り上げて作られるもの)の製作をも専門業務としている木義組に依頼し、本件建築工事のまんじゆうを製作させた。

六  右鏡ビルの鉄骨組立工事(以下、「本件鉄骨組立工事」という。)は、同月二九日に施工されることとなり、被告人は、その前日、小林設計工務店の社長小林稔から、本件鉄骨組立工事に立ち会うようにと命ぜられ、右二九日午前八時三〇分ころ、本件建築工事現場に赴いた。

本件鉄骨組立工事は、前記川島直美が頭となり、同人ならびに同人がこの作業のために雇つたとび職である石森眞夫および東義宏が、宇田鉄工の手配したクレーンの運転手佐藤清一と協同して同日午前九時一〇分ころから始め、最初に、一本目のH鋼クロス柱(以下、「本件H鋼クロス柱」という。)を本件鏡ビルの南西隅の柱として建てようとした。すなわち、本件H鋼クロス柱を玉掛けワイヤーを用いて右クレーンで吊り上げ、本件H鋼クロス柱の底板にあいている穴に、南西隅の柱を建てる位置の基礎部分に埋め込まれた三本のアンカーボルト(以下、「本件アンカーボルト」という。)を通そうとした。ところが、本件H鋼クロス柱の底板にあいている三個の穴の位置と右アンカーボルト三本の位置とが合わなかつた(もつとも、右底板の穴の位置および右アンカーボルトの位置は、ともに本件H鋼クロス柱の底板の一方に偏在し、かつ、そのうち二個の間隔が狭い配置になつていた。)。そこで、右川島直美は、本件H鋼クロス柱を南東隅の柱を建てる位置に移動させ、そこに建てようとしたが、そこのアンカーボルトの位置も、本件H鋼クロス柱の底板の穴の位置とは合わず、再び、本件H鋼クロス柱を南西隅の柱を建てる位置に戻した。しかし、本件アンカーボルトの位置と本件H鋼クロス柱の底板の穴の位置が合わないので、同人は、溶接器を用いて、本件アンカーボルトの位置に合うように、本件H鋼クロス柱の底板にあいている穴のうち二個を大きくし、さらに、この底板に別個の穴一個をあけ直した。このようにして、同日午前九時二〇分ころ、本件H鋼クロス柱の底板にあいている穴に本件アンカーボルトを通し、本件H鋼クロス柱をその位置のまんじゆう(以下、「本件まんじゆう」という。)の上に立て、前記川島直美、石森眞夫および東義広が、それぞれ一本ずつ、本件アンカーボルトにナツトを締め始めた。右石森眞夫は、右川島直美が本件アンカーボルトにナツトを締め終らないうちに、本件H鋼クロス柱に登り、本件H鋼クロス柱を吊つている前記クレーンの運転手佐藤清一に合図をして、そのクレーンのワイヤーを少し緩めさせ、本件H鋼クロス柱を揺すつてみたうえで、右佐藤清一に再び合図をして、そのクレーンのワイヤーをさらに緩めさせ、本件H鋼クロス柱に取り付けられている玉掛けワイヤーからそのクレーンのフツクを外したところ、間もなく、本件H鋼クロス柱が北西方向に倒壊し、そのため、右石森眞夫は、本件H鋼クロス柱から地上に墜落し、即時同所において、頸髄骨折の傷害により死亡した。

なお、警察官による実況見分の結果、本件アンカーボルトは、三本とも、北西方向に曲がつたうえ、取り付けられたナツトの下の部分からちぎれ、本件まんじゆうは、北西隅の部分が崩壊しており、警察官が右崩壊した本件まんじゆうの一部を傍の基礎部分に打ちつけたところ容易に砕けることが判明した。

(被告人の注意義務の有無)

検察官は、本件アンカーボルトの数が三本で、その位置が本件H鋼クロス柱の底板の一方に偏在し、かつ、そのうち二本のアンカーボルトの間隔が狭い配置になつているため、本件アンカーボルトが安定を失つた本件H鋼クロス柱の荷重に堪えきれずに折損し、本件H鋼クロス柱が倒壊するに至つたものであるから、被告人は、本件H鋼クロス柱の倒壊を予見したうえ、これを防止するために、本件H鋼クロス柱をクレーンで吊り上げ、本件アンカーボルトにナツトを締めた段階で、本件H鋼クロス柱に、三点もしくは四点の丸太などによるいわゆる張りを設けるなどして、本件H鋼クロス柱倒壊防止措置を講ずべき義務があり(主位的訴因)、仮にそうでないとしても、被告人は、本件H鋼クロス柱の倒壊に備えて、本件H鋼クロス柱を建てる作業を行つている川島直美らに対し、本件H鋼クロス柱の周囲から丸太等による張りを設けて本件H鋼クロス柱を支えるなど本件H鋼クロス柱倒壊防止措置を取るよう指揮監督する義務がある(予備的訴因)と主張するので、以下これらの点について検討する。

既に(事件の概要)の項で認定した事実ならびに(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

一  被告人の経歴、職務

被告人は、昭和四七年三月に道立苫小牧工業高校建築科を卒業した後、倒産のため、二回勤務先を変わりながら、約二年数か月間、土木建築工事に携わり、主に、穴掘りや墨出しなどに従事していたが、鉄骨組立工事に関与したことはなかつた。被告人と同じ勤務先で働いていた前記小林稔が、昭和五〇年八月に小林設計工務店を設立する際に、被告人は、同人に誘われて同社に勤務することになり、同社において、本件事故発生までに、三件の建物建築に携わり、それぞれの工事において、専門の下請業者が施工した鉄骨組立工事に立ち会つた。しかしながら、被告人は、建物建築における鉄骨組立工事の作業手順を会得するまでには至つていなかつた。

小林設計工務店では、同社が請負つた建物建築工事の各部分工事をそれぞれの専門の下請業者に施工させて、その建物建築工事を完成させるということを業務内容としており、各建物建築工事に関する右業務は、前記小林稔が総括的な指揮・監督をし、同社の工事部長鈴木幸徳がこれを補佐するほか、同社従業員一名が各建物建築工事ごとの担当者となり、これを処理していた。この担当者は、右小林稔および右鈴木幸徳の指揮・監督のもとで、それぞれの下請業者に対し工事全体の進行状況に応じて連絡を取るなど、下請工事を円滑に進行させるための手配、下請工事が設計図どおり施工されていることの監理などを主な職務とするほか、元請業者としての本件工事現場における一般的な安全監理、例えば、工事関係者以外の者が工事現場に立ち入らないようにしたり、工事現場で働く作業員にヘルメツトの着用を遵守させたりするということを職務とし、このような職務を遂行するために必要な範囲で下請業者に指示をする権限を有するにとどまり、各職種ごとの作業方法、順序等は、原則として、各専門の下請業者に任されていたため、この点について、各専門の下請業者に対して、直接、具体的に指揮・監督すべきことを職務としていなかつた。被告人は、小林設計工務店において、このような各建物建築工事ごとの担当者としての職務に就いていたものであり、本件建築工事の担当者は、被告人であつた。

二  本件H鋼クロス柱の建て方について

本件H鋼クロス柱の建て方は、通常、これに従事する作業員らが本件H鋼クロス柱を玉掛けワイヤーを用いてクレーンで吊り上げ、それを建てる位置の基礎部分に埋め込まれたアンカーボルトを本件H鋼クロス柱の底板にあけられた穴に通して、本件H鋼クロス柱をまんじゆうの上に立て、アンカーボルトにナツトを固く締め、これを確認したのち、

(1)  この段階で、張り(ワイヤーロープを用いた支線または丸太を用いた支柱のこと)を三本ないし四本設けたうえで、作業員が本件H鋼クロス柱に登り、クレーンのフツクを玉掛けワイヤーから外す

(2)  または、作業員が本件H鋼クロス柱に登り、クレーンの運転手に合図をしてクレーンのワイヤーを少し緩めさせ、本件H鋼クロス柱を十分に揺すり、その際に、本件H鋼クロス柱の根元にいる別の作業員が本件まんじゆうに異常が生じるか否かなど、本件まんじゆうおよび本件H鋼クロス柱の底部の状態にしばらく注目して、これら作業員がクレーンのフツクを玉掛けワイヤーから外した場合に本件H鋼クロス柱が倒壊するおそれがあるか否かを十分に確認し、倒壊のおそれがあれば、ここで、作業員の頭の指示に基づき、張りを三本ないし四本設けるなどの本件H鋼クロス柱倒壊防止の措置を構じたうえ、(倒壊のおそれがなければ、ナツトをもう一度締め直したうえ)、柱上の作業員においてクレーンの運転手に再び合図をしてクレーンのワイヤーを緩めさせて、玉掛けワイヤーからクレーンのフツクを外す

という、いずれかの作業手順で行われる。このようにして、本件H鋼クロス柱を独立して立てる前に適切な張りを設けた場合には、本件H鋼クロス柱が倒壊することはない。

ところが、本件H鋼クロス柱を建てるにあたり、前記石森眞夫が本件H鋼クロス柱に登る前に、張りは設けられず、また、右石森眞夫は、前記川島直美がアンカーボルトにナツトを締め終わらないうちに、本件H鋼クロス柱に登り、これを吊り上げている前記クレーンの運転手佐藤清一に合図をして右クレーンのワイヤーを少し緩めさせ、本件H鋼クロス柱を揺すつた際に、本件H鋼クロス柱の根元にいた右川島直美および前記東義宏に対し、本件まんじゆうに異常が生じたか否かなど、本件まんじゆうおよび本件H鋼クロス柱の底部の状態から本件H鋼クロス柱が倒壊するおそれがあるか否かを確認することなく、また、右川島直美および右東義宏においても、右石森眞夫が本件H鋼クロス柱を揺すつた際に、本件まんじゆうおよび本件H鋼クロス柱の底部の状態を一見したものの十分には注目せず、本件H鋼クロス柱が倒壊するおそれがあるか否かについて十分な注意を払つていないのに、右石森眞夫が独断で右佐藤清一に再び合図をして右クレーンのワイヤーを緩めさせ、玉掛けワイヤーからそのクレーンのフツクを外したところ、本件H鋼クロス柱が倒壊したものである。

三  本件H鋼クロス柱倒壊の原因

本件H鋼クロス柱は、本件まんじゆうの上部平面上に載せて立てるものであるところ、本件まんじゆうの上部平面は、本件H鋼クロス柱の底面より狭い形状になつているうえ、本件H鋼クロス柱は、高さが九・九メートルで、底面が三九・七センチメートル四方の正方形をその一頂点から一方の辺に一八センチメートル、他方の辺に一七センチメートルの各点を結んだ直線で切り取つた五角形状をなしているため、本件H鋼クロス柱を立てた場合、その構造上、倒壊し易いものであるが、本件まんじゆうが本件H鋼クロス柱の重量などによつて加わる力により崩壊せず、かつ、本件H鋼クロス柱の水平方向の重心が本件まんじゆうの上部平面の上に載つていれば、本件H鋼クロス柱は、本件まんじゆうの上に独立して立たせたとしても、アンカーボルトの数や配置にかかわらず、倒壊し始めることはない。ところが、本件H鋼クロス柱は、それが建てられるべき位置からみて北方向と東方向にそれぞれ三か所ずつ、デツプス(本件H鋼クロス柱に直角に取り付けられた長さ八〇センチメートル、上下幅二五センチメートル、左右幅一二センチメートルのH形鋼)が出ているために、その水平方向の重心が東北方向に偏る構造になつていること、および、本件まんじゆうの上部平面が一応水平になつていたことが認められるものの、本件全証拠によるも、本件H鋼クロス柱の重心の正確な位置および本件まんじゆうの強度形状については明らかではない。したがつて、本件まんじゆうの強度が不十分であつたとすれば、本件まんじゆうが本件H鋼クロス柱の重量などによつて加わる力で崩壊したとも考えられるし、また、前記石森眞夫がその上部に登つている状態の本件H鋼クロス柱の水平方向の重心が本件まんじゆうの上部平面の外側に位置する関係にあつたとも、あるいは、右川島直美が、本件アンカーボルトにナツトを締め終わらないうちに、右石森眞夫が本件H鋼クロス柱に登り、これを揺するなどの力を加えたために本件H鋼クロス柱がわずかに傾き、その水平方向の重心が移動し、本件まんじゆうの上部平面の外側に位置するようになつたとも考えられ、これらの事情のいずれかまたはこれらが複合して、本件H鋼クロス柱が倒壊し始めた可能性があるが、そのいずれであるかは証拠上明らかでない。そして、前記各証拠によれば、アンカーボルトは、本件H鋼クロス柱が倒壊し始めた場合に、それを阻止する作用をも果すもので、三階建の建物に使用される鉄柱のアンカーボルトは、通常、四本とされてはいるが、その設計において、その鉄柱の倒壊を阻止する作用を一定の水準にするためにそれに使用されるアンカーボルトの数や太さなどその強度がどの程度必要かについては検討されていず、現実にはアンカーボルトが三本で本件のような鉄柱を建てることもあることが認められ、この事実に本件H鋼クロス柱が倒壊し始めた原因が前記のように確定できないことをも合わせ考えると、当初の設計どおり、アンカーボルトの数が四本で、その位置が正四角形になつていたとしても、これにより、いつたん倒壊し始めた本件H鋼クロス柱が斜角に傾いて安定したに止まらず、究極的には倒壊するに至つたか否かも確定することができない。

以上の事実関係に照らせば、本件H鋼クロス柱それ自体は、その底面に比し高さが九・九メートルもある柱状のもので、独立して立てた場合には、不安定な構造物であり、しかも、これがその上部に作業員が登つている状態で独立して立つか否かは、その時の本件H鋼クロス柱の重心の位置、本件まんじゆうの形状および強度、アンカーボルトとナツトの締め具合、本件H鋼クロス柱の上部に登つている作業員の動作による力学的作用、アンカーボルトの強度など様々な要素により、あるいは、これらが相互に影響し合つて定まるため、本件鉄骨組立工事の作業員である川島直美らは、これを事前に確知しえなかつたものと認められる。したがつて、本件H鋼クロス柱を立て、石森眞夫がその上部に登り、張りを設けずに、クレーンのフツクを本件H鋼クロス柱に付けられた玉掛けワイヤーから外すという作業は、本件H鋼クロス柱が倒壊して、その上部に登つている石森眞夫が転落する危険をともなうものであつたということができる。そこで、このような事故を未然に防止するため、本件H鋼クロス柱を独立して立てる場合、通常、

(1)  作業員が、アンカーボルトにナツトを締め終つた段階で、張りを設ける方法

(2)  アンカーボルトにナツトを締め終つたのち、作業員が、本件H鋼クロス柱に登り、それを吊り上げているクレーンのワイヤーを少し緩めさせ、本件H鋼クロス柱を十分に揺すり、本件H鋼クロス柱の根元にいる別の作業員が、その際に本件まんじゆうに異常が生じるか否かなどを確認することにより、これら作業員が、そのままクレーンのフツクを本件H鋼クロス柱に取り付けられている玉掛けワイヤーから外すと本件H鋼クロス柱が倒壊する危険があるか否かを確認したうえで、その危険があると判断した場合に、張りを設けるなどの適切な倒壊防止措置を取る方法

のいずれかの作業手順が用いられているのであるから、本件H鋼クロス柱を独立して立てる場合には、少なくとも、右の(2)の方法を取る必要があつたことは明らかである。ところが、本件H鋼クロス柱を建てるにあたつては、右の(1)の方法が取られなかつたばかりか、川島直美がアンカーボルトにナツトを締め終らないうちに、石森眞夫が本件H鋼クロス柱の上部に登つてしまい、さらにそれを吊り上げているクレーンのワイヤーを少し緩めさせたうえ、それを揺すつてみたものの(これが十分であつたかについては疑いが残る。)、右の(2)の方法に反し、本件H鋼クロス柱の根元付近にいた川島直美や東義宏に対して本件まんじゆうに異常が生じたか否かなどの確認を取らず、また、川島直美や東義宏においても、石森眞夫が本件H鋼クロス柱を揺すつてみた際、本件まんじゆうに異常があるか否かを十分に確認することを怠つたまま、張りを設けることなく、石森眞夫(同人においても本件H鋼クロス柱の倒壊のおそれの有無について十分な注意を払つたかは疑わしい。)がクレーンのフツクを本件H鋼クロス柱に付けられた玉掛けワイヤーから外して、本件H鋼クロス柱を独立で立たせた状態にし、間もなく、本件事故が発生したものである。ところで、前記(2)の作業手順が採られているゆえんは、この手順を採ることにより本件のような鉄柱の倒壊のおそれの有無が確認できると経験則上理解されていることによるものであり、このことと本件事故に至つた右経緯とに照らすと、本件H鋼クロス柱を建てる作業に従事した右川島直美ら作業員が右の作業手順に従い、本件H鋼クロス柱が独立して立つか否かについて十分な確認作業を行つていれば、これにより本件H鋼クロス柱が倒壊する徴候を発見しえたと十分考えられる。したがつて、右川島直美らが、通常の作業手順を踏み、右徴候を発見した段階で、本件H鋼クロス柱に適切な張りを設けてこれを支えるなどの本件H鋼クロス柱倒壊防止措置を講じていれば、本件事故は、未然に防止しえた蓋然性が高いと言うことができる。

そこで、被告人が、本件H鋼クロス柱を建てる作業に従事した川島直美ら作業員において前記(2)の方法に反する作業行為に出るかもしれないことを予見したうえ、本件H鋼クロス柱を建てる作業を終始監督して、同人らに前記(2)の作業手順を遵守させ、本件H鋼クロス柱の倒壊を事前に予見し、自ら本件H鋼クロス柱に適切な張りを設けるなどの本件H鋼クロス柱倒壊防止措置を取るか、あるいは、川島直美ら作業員にこのような本件H鋼クロス柱倒壊防止措置を取るよう指揮すべき義務を負うか否かが問題となる。この点について、検察官は、「本件の如き元請会社で請負つた工事の一部を下請に出し、右元請業者、下請業者全員の連帯と協力のもと工事を遂行、完成すべき関係にある場合、元請会社から派遣された現場責任者は下請関係にある全ての作業を指揮・監督して工事を施工するものであり、このことは土木建築業界としての慣行でもあり当然の事理と言うべきである。」と主張する。

しかしながら、本件鉄骨組立工事は、本件鏡ビル建築を請負つた小林設計工務店が、鉄骨の製作および組立を専門の業とする宇田鉄工にこれらを一括して請負わせ、宇田鉄工が、小林設計工務店に了解を得ることなく、さらに、川島直美に請負わせ、川島直美が本件鉄骨組立工事の頭となり、同人がこの工事のために雇つた本件被害者を含む二名の作業員および宇田鉄工の手配したクレーン運転手を自己の指揮・監督下において、その工事を実施したのである。したがつて、小林設計工務店としては、本件鉄骨の製作および組立工事を一括してその専門業者である宇田鉄工に請負わせた以上、特段の慣行が存在するなど特別な事情がないかぎり、宇田鉄工がその専門的知識に基づき、自らまたはその下請業者を使用して、本件鉄骨組立工事を通常の作業手順により安全に実施するものと信頼してよく、したがつて、元請業者である小林設計工務店が本件鉄骨組立工事の作業手順の監理のため自社社員を派遣して本件鉄骨組立工事の作業手順の過誤や懈怠にともなう事故を未然に防止すべき義務を負うものではなく、むしろ、原則的には、川島直美ないし宇田鉄工が、自己の責任において選任雇傭した作業員を指揮・監督して本件鉄骨組立工事の作業手順を監理し、その作業手順の過誤や懈怠にともなう事故を未然に防止し、その作業員の安全を図るべきものである。なお、第四回、第五回および第一七回の各公判調書中の証人川島直美の各供述部分には、鉄骨組立の際、元請業者から必ず当該工事現場に派遣されて来る者がおり、この者が現場監督であつて、その者が張りを設ける必要があると判断した場合には必ず張りを設けるように指示してくれるのであり、同証人としては、この指示がなければ張りを設けない旨の供述記載があるが、同証人の前記供述記載中には、自己の責任を回避し、他に責任を転稼するような供述記載があることから、右供述内容はそのまま措信することができないのみならず、仮に、川島直美がその供述内容のような体験を幾度か有していたとしても、このことからただちに、元請業者から当該工事現場に派遣された者に、当該鉄柱を独立して立てる場合に、張りを設ける必要があるか否かを判断し、その必要がある場合に、当該作業員に張りを設けるように指示すべき慣行があつたものとは到底認めることはできないし、本件全証拠によるも、元請業者ないし元請業者から当該工事現場に派遣された者に右のような義務を負わせる特別な事情が他にあることを認めるに足りる証拠はない。

そして、小林設計工務店から本件建築工事現場に派遣されていた被告人としても、その現場において、自己の知識経験により、下請業者等の作業員が危険な作業手順を取つていることを知りえたような場合(被告人が、本件事故当時において、建物建築における鉄骨組立工事の作業手順を会得するまでには至つていなかつたことは前記認定のとおりであるうえ、前記各証拠および第八回公判調書中の証人中谷剛の供述部分によれば、川島直美らが、本件H鋼クロス柱を建てるにあたり、前記(2)の作業手順をなすべき際、被告人は、本件建築工事現場付近歩道の舗装工事を施工した加茂組の中谷剛が本件建築工事(基礎工事)にともない凹損した右工事現場前歩道の補修の折衝に来たことから、その応待に当つており、そのため、川島直美らの本件H鋼クロス柱を建てる作業を見ていなかつたことが認められるから、本件は、このような場合に当らない。)などの特別の事情がないかぎり、宇田鉄工ないしはその下請業者がその専門業務として自己の指揮・監督下にある作業員を使用して行う本件鉄骨組立工事の作業手順の過誤や懈怠にともなう事故を未然に防止すべき義務を負う立場になかつたものと解するのが相当である。つまり、被告人は、小林設計工務店の取締役工事部次長であるが、具体的には、同社の社長や工事部長から、小林設計工務店が請負つた各建物建築工事の担当を命ぜられ、その工事について、それぞれの下請業者に対し、工事全体の進行状況に応じて連絡を取るなど各下請工事を円滑に進行させるための手配、下請工事が設計図どおり施工されているか否かの監理などを主な職務とするほか、元請業者としての当該工事現場における一般的な安全監理をその職務内容とし、このような職務を行うために当該工事現場へ赴くものであつて、各下請工事の作業自体は、各専門の下請業者に任せられ、被告人が自らその作業を行うことやその作業手順を監理し、その作業員を指揮・監督することまで当然にはその職務と言うことはできないというべきである。

もつとも、検察官は、被告人が「施工図の作成、施工計画の打ち合せ、現寸検査に立ち会い下請業者の宇田鉄工と本件施工工事について種々打ち合せ、指示を行つていたこと、また被告人自身現場代理人、責任者として自ら各下請業者を指揮支配して基礎コンクリート造り、まんじゆう盛り工事を担当、実施したこと、また本件鉄骨組立工事においても元請の現場代理人、監督者として直接工事に立会い、ヘルメツトの着用を指示したり安全監理に務め、」さらに、本件「鉄骨組立作業に当たり、クレーン車をどこに配置し、どこの鉄骨から建てて行くかなど差配し、その後ボルト穴が合わず鉄骨組立工事が不可能となるやアンカーボルトの穴直しとガス切断器を使つての開口を指示し、工事の継続、実施を要請、指揮したこと」など本件鉄骨組立作業の、監理にあたつていたことが明らかであると主張する。確かに、前記認定の事実ならびに(証拠略)を総合すれば、被告人は、本件建築工事において、基礎工事を作業員を使用して実施し、まんじゆうの製作を小林設計工務店の下請業者である木義組に依頼したこと、また、本件鉄骨の製作および組立工事に関して、施工図(建築物の壁芯、柱芯、窓取りなどを設計図に基づき決定する図面)を作成したこと、宇田鉄工と打ち合せをしたこと、宇田鉄工との現寸検査に立ち会つたこと、本件事故当日、本件鉄骨組立工事の現場へ赴き、前記東義宏にヘルメツトを着用するよう指示したこと、クレーン車を設置するために、本件鉄骨組立工事の現場西隣の空地が使用できる旨前記川島直美らに告げていることが認められるが(被告人が、さらに、検察官主張のように、本件鉄骨組立工事について、積極的に関与したことを合理的な疑いを払拭させる程に認定しうる証拠はない。)、これらの事実は、被告人の本件建築工事に関する前記認定の職務の範囲を超えるものとは言い難く、被告人が本件鉄骨組立工事の具体的な作業手順を指揮・監督すべき地位にあつたことを右事実からただちにうかがうことはできない。

以上、要するに、本件死亡事故は、被害者を含め本件H鋼クロス柱を建てる作業に従事した川島直美らが通常の作業手順の一つである本件H鋼クロス柱の倒壊のおそれの有無についての十分な確認作業を行わず、そのため張りを設けることなく、被害者が安易にクレーンのフツクを本件H鋼クロス柱に付けられた玉掛けワイヤーから外したことに起因する疑いが濃いところ、元請業者から現場に派遣されたにすぎない被告人が、専門業者たる下請業者等が自己の責任として請負つた専門作業である本件鉄骨組立工事中の具体的作業手順の過誤や懈怠についてまでこれを防止すべき業務上の注意義務を原則として負うものではなく、他に右注意義務を負うべき例外的事情の認められない本件にあつては、被告人は、本件死亡事故につき過失責任を負うべき理由はないのである。

(結論)

そうすると、本件公訴事実はいずれもその証明がないから刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

(裁判官 安藤正博 下田文男 秋葉康弘)

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